イエメン — 内戦下で生き残るモカ・コーヒーの供給網

港湾封鎖・水不足・テロ指定——紛争が一次産品の輸出網に落とす影

モカ・コーヒー発祥の地イエメンは2014年の内戦開始以降、生産量・輸出量とも急減しました。港湾機能の低下や送金網の断絶が生産者を直撃する一方、Qima CoffeeやPort of Mokhaの取り組みが国際市場への道を切り開いています


この記事の要点

  • FAO/IFC報告書(2023年)によると、イエメンのコーヒー栽培面積は34,981ha(全耕作可能地の2.4%)、2019年の生産量は20,812トン
  • ICO推計では内戦開始直後の2015/16年、生産量が前年比8%減、輸出量は60%減という急落を記録した
  • カート(qat)栽培が地下水の最大4割を消費するとされ、コーヒー農地への転用圧力になっている(UNDP・World Bank)
  • 紅海沿岸のホデイダ港など主要港の運用能力は、空爆等の被害により2025年1月時点で平時の70%減とReliefWebが報告
  • 2025年の「Best of Yemen」オークションでは1kgあたり1,878ドルの落札記録が出た(Qima Coffee主催、Global Coffee Report報道)
  • 2026年7月にはフーシ派がサウジアラビアに対する海上封鎖を宣言するなど、紅海航路の緊張は現在進行形

2015年3月、内戦勃発の前夜まで、モクター・アルカンシャリはサナアでコーヒー農家との商談を重ねていました。翌朝、市内の両空港が空爆を受け、民間便はすべて運航を停止します。彼はサナアからモカ港まで陸路で移動し、地元の漁師に頼み込んで小型漁船に乗り込みました。無線も航法機器もない船で紅海を渡り、7時間かけてジブチにたどり着いたとき、スーツケースの中には生豆のサンプルが入っていました。数日後、シアトルで開催されたSCAA(現SCA)のカッピングでこの豆は90点超の評価を獲得し、後にブルーボトルコーヒーが取り扱う「Port of Mokha」ブランドの出発点になります。

この逸話が象徴する通り、モカ・コーヒー発祥の地イエメンでは、コーヒーという一次産品と国家の機能不全が分かちがたく結びついています。本稿では、モカ・マタリの風味的な特徴ではなく、内戦がコーヒーの生産・輸出インフラに与えてきた具体的な影響と、それでも豆が国際市場に届き続けている仕組みを、一次資料に基づいて整理します。

世界のアラビカ種はイエメンから広がった

「モカ」という呼び名は、15〜18世紀に世界のコーヒー貿易を独占した紅海沿岸の港湾都市アル・マハ(アル・モカ)に由来します。当時、世界に流通するコーヒーのほぼすべてがこの港を経由していました。

2020年にWorld Coffee Researchが実施した遺伝子解析では、エチオピア以外で栽培されているアラビカ種の系統は、いずれもイエメンで栽培化された古代品種に由来することが確認されています。エチオピアが野生種としての遺伝的多様性の中心である一方、イエメンは商業栽培という形でアラビカを世界に広げた「二次的な拡散センター」と位置づけられています。

内戦開始直後、生産と輸出は急落した

2014年、フーシ派がサナアを制圧し、2015年3月にサウジアラビア主導の連合軍が軍事介入したことで、イエメンは全面的な内戦状態に入りました。ICO(国際コーヒー機関)の推計によると、2015/16年のコーヒー生産量は前年比8%減、輸出量にいたっては前年比60%減となり、少なくとも1990/91年以降で最低の水準まで落ち込みました。

輸出が生産量以上に落ち込んだ背景には、物理的な破壊だけでなく行政機能の停止があります。コーヒーを輸出するには農業省・商業省による原産地証明が必要ですが、内戦初期にはこれらの省庁機能が事実上停止し、証明書のない貨物は輸入国側で受け入れられない状態が続きました。ACTEDとEuropeAidは、ライマ県だけで1,600人超の生産者を対象に、製粉設備の投資や協同組合の再編、灌漑整備の支援に入っています。

FAOと国際金融公社(IFC)が2023年に公表した報告書は、より近年の構造を示しています。

指標 数値 出典
コーヒー栽培面積 34,981ha(全耕作可能地の2.4%) FAO/IFC 2023年報告書
生産量 20,812トン 2019年 FAO/IFC 2023年報告書
輸出額 約2,020万ドル(農業輸出総額の約6%) 2020年 FAO/IFC 2023年報告書
主要輸出先 サウジアラビアが63%(約1,260万ドル) 2019年 FAO/IFC 2023年報告書
農家1戸あたりの平均生産量 年間114kg(平均保有面積0.3ha、約394本) FAO/IFC 2023年報告書

農家が受け取る収入からは生産コストの41〜45%が差し引かれるとされ、栽培規模の小ささと物流コストの高さが、そのまま農家の手取りを圧迫する構造になっています。

港と送金網——輸出インフラの現実

内戦以降、コーヒーの物理的な輸出経路そのものが不安定です。フーシ派の実効支配下にあるホデイダ港は、歴史的にイエメン第2の貨物港であり、食料輸入の約8割が経由する生命線ですが、ReliefWebが2025年1月に公表した報告では、空爆等によるインフラ被害で紅海沿岸の主要港(ホデイダ、サリーフ、ラスイサ)の運用能力が平時の70%減まで落ち込んでいるとされています。

輸出業者の多くは、検問所での妨害や恐喝、貨物の押収リスクを避けるため、政府側が管理する南部アデン港を迂回ルートとして使っており、その分の日数とコストが上乗せされています。金融面でも正規の銀行網が機能不全に陥っているため、非公式な信用送金システム「ハワラ」に依存する取引が一般的です。

さらに政治リスクも輸出を左右してきました。米国は2021年にフーシ派を「外国テロ組織」に指定し、バイデン政権下で一部解除された後、2024年3月に指定が復活しています。指定の有無が入れ替わるたびに、法的・レピュテーションリスクを警戒する欧米の輸入業者が調達を手控える動きが出ると報じられています。

2026年に入ってからも紅海の緊張は続いています。2024〜2025年にはイスラエル軍がホデイダ港のクレーンや物流拠点を空爆し、港湾インフラをさらに毀損しました。2026年7月にはフーシ派がサウジアラビアに対する海上封鎖を宣言し、紅海の海上輸送に新たな不確実性が加わっています。この封鎖はサウジ向け原油輸送を主な標的にしたものですが、同じ紅海航路をイエメン自身の商業貨物も利用しているため、地域の海運リスクが上がるほどイエメン側の輸出コストにも跳ね返る構造にあります。

水を奪い合うカートとコーヒー

輸出インフラに加えて、農地そのものを巡る競合も生産を圧迫しています。イエメンで広く消費される嗜好性植物カート(qat)は、UNDPとWorld Bankのデータでは農地の14〜15%を占めながら、乏しい地下水資源の最大4割を消費しているとされます。カートは収穫までの生育が早く即日換金できるため、水資源に乏しい高地の農家にとってコーヒーより手堅い収入源になりやすいのが実情です。

水効率で見るとコーヒーは生豆1kgあたり0.13立方メートルの地下水を要するのに対し、カートは1kgあたり5.35立方メートルを要するとされ、単純比較でコーヒーはカートの35倍水効率が高い作物です。この差を踏まえ、UNDPと世界銀行はタイズ県でカートからコーヒーへの転作を支援するプロジェクトを実施しており、女性4,000人を含む43,000人分の直接的な雇用機会を生み出したと報告されています。

それでも国際市場に届く理由

物流・金融・農地のいずれもが逆風にさらされる中で、イエメン産コーヒーが国際市場から姿を消していないのは、専門にリスクを引き受ける輸出企業とオークションの仕組みが機能しているためです。

2016年設立のQima Coffeeは、当初1つの村・30戸の農家から始まった取引網を、55のコミュニティ・3,000戸超の農家まで拡大しました。同社が2019年からACE(Alliance for Coffee Excellence)と共同運営する「Best of Yemen」オークションは、Qimaの既存ネットワーク外の農家にも参加を開放し、品質評価に応じた割増価格を国際バイヤーに直接つなぐ仕組みです。2025年のオークションでは、サナア県アル・ジダンの農家ヤヒヤ・アル・ファキーが出品したナチュラル精製のイエメニア種が、サウジアラビアのロースターに1kgあたり1,878ドルで落札され、3年連続で自己記録を更新しました。33ロットの落札平均価格は1kgあたり302ドルに達しています。

冒頭で触れたPort of Mokhaも同様の役割を果たしています。同社は「モカ・メソッド」と呼ぶ買付け方式で、通常より33%以上高い価格を農家に支払う仕組みを採用しており、2017年にはイエメン産の単一農園ロットがCoffee Reviewで97点という高評価を獲得しました。米国では2017年創業のQahwah Houseやイエメン系カフェチェーンが複数州に店舗を広げ、消費者との接点を作ることで産地への関心と資金循環を維持しています。

農家の取り分という現実

これらの取り組みが埋めようとしているのは、国内市場と国際市場の価格差です。イエメン国内市場では、農家は生豆1kgあたり1〜2ドル程度でしか販売できないと報告される一方、国際市場に接続できれば1kgあたり8ドル前後まで受け取れるとされています。Port of Mokhaのようなダイレクトトレード型の買付けでは、この差にさらに33%以上のプレミアムが上乗せされる仕組みです。

専門店向けの生豆はすでに1kgあたり30〜80ドルという、コモディティ価格の8〜15倍の水準で取引されており、コーヒーの価格が3層構造で決まる仕組みや、パナマ・ゲイシャがオークションで高騰する構造と同様、希少性と品質評価が輸出企業を通じて価格に転嫁される点は共通しています。ただしイエメンの場合、その前提となる物流・金融インフラ自体が紛争によって恒常的に不安定という点が、他の希少銘柄と一線を画しています。

2026年、緊張は再燃している

2022年の停戦以降、フーシ派と暫定政府軍の主要な前線は比較的安定していましたが、2026年に入り緊張が再燃しています。3月にはフーシ派がイスラエルへの攻撃を再開し、7月にはサウジアラビアのアブハ空港への攻撃、それに続く海上封鎖宣言と、地域紛争が再燃するリスクが指摘されています。

人道状況も悪化を続けています。国連人道問題調整事務所(OCHA)が2026年3月に公表した「イエメン人道ニーズ・対応計画2026」では、人口の半数近い1,830万人が深刻な食料不安に直面していると推計され、22億6,000万ドルの拠出を国際社会に呼びかけています。しかし2026年7月21日時点での充足率は19%にとどまっており、WFP(世界食糧計画)はフーシ派支配下の北部での活動を治安・資金の両面から終了させています。

まとめ

イエメンのコーヒー産業は、貿易摩擦や関税といった経済政策上のリスクではなく、国家機能そのものの不全——港湾の物理的破壊、行政証明の停止、銀行網の断絶、テロ指定の政治変動——が一次産品の供給網を直撃する事例です。それでもコーヒーが世界に届き続けているのは、Qima CoffeeやPort of Mokhaのような輸出企業がリスクを引き受け、品質評価を通じた割増価格という形で農家に対価を還元する仕組みを維持してきたからにほかなりません。紛争下の一次産品輸出がどのように成立し、どこで途切れるのかを見るうえで、イエメンは最も観察しやすい実例のひとつです。

よくある質問

なぜイエメンのコーヒーは「モカ」と呼ばれるのですか
15〜18世紀に世界のコーヒー貿易の中心地だった紅海沿岸の港湾都市アル・マハ(アル・モカ)に由来します。当時イエメンは世界のコーヒー輸出のほぼすべてを担っており、2020年のWorld Coffee Researchの遺伝子解析でも、エチオピア以外で栽培されるアラビカ種の系統はイエメンの在来品種に由来することが確認されています
内戦はイエメンのコーヒー生産にどのような影響を与えていますか
ICOの推計では内戦開始直後の2015/16年に生産量が前年比8%減、輸出量は60%減となり、1990/91年以降で最低水準を記録しました。港湾機能の低下や検問所での妨害、正規の銀行網の機能不全が輸出コストを押し上げ、農家は域内価格と国際価格の大きな差に直面し続けています(Perfect Daily Grind、FAO/IFC 2023年報告書)
紛争下でもイエメン産コーヒーが国際市場に届いているのはなぜですか
Qima CoffeeやPort of Mokhaのような輸出企業が、南部アデン港経由の代替輸送ルートや農家からの直接買付けの仕組みを構築し、国際価格に近い対価を農家に還元しているためです。「Best of Yemen」オークションのように品質評価を通じて割増価格を実現する仕組みも、輸出継続を支える要因になっています

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