コーヒーハウス閉鎖の布告(1675年)は何を禁じ、なぜ出されたのか|翌月の追加布告と物品税法を原文で読む

禁止の対象は店で飲ませるコーヒー・チョコレート・シャーベット・茶の小売り、理由は「仕事を怠ること」と「政府を中傷するうわさ」

1675年12月29日、チャールズ2世はコーヒーハウスの閉鎖を命じる布告を出し、10日後の1676年1月8日には条件つきで6月24日まで営業を認める追加の布告を出しました。2つの布告と、それ以前の物品税法の条文を原文で読みます


この記事の要点

  • 1675年12月29日付の布告は、1676年1月10日から、店で飲ませるためのコーヒー・チョコレート・シャーベット・茶の小売りを禁じ、販売の免許の取り消しを命じた
  • 布告が挙げた理由は2つ。商人などが店で時間を浪費して仕事を怠ること、店に集まる人々が政府を中傷する「偽りの、悪意ある、恥ずべきうわさ」を作り広めること
  • 10日後の1676年1月8日付の追加布告は、在庫を抱えた小売商の請願を受け、500ポンドの誓約保証と忠誠・国王至上の宣誓を条件に、6月24日まで営業を認めた
  • 追加布告の誓約の条件は、政府を中傷する文書が店に持ち込まれ読まれることや、うわさが語られることを防ぐよう努め、それが公然と起きたら2日以内に国務大臣か治安判事に知らせることだった
  • それ以前から、コーヒーは1660年の物品税法で1ガロンあたり4ペンスの税がかかり、1663年の物品税法で販売に免許が要る飲み物だった

結論から書くと、チャールズ2世の1675年の布告が禁じたのは、コーヒー・チョコレート・シャーベット・茶の4つの飲み物を店の中で飲ませるための小売りでした。王は1675年12月29日付の布告で、「仕事を怠る人が集まること」と「政府を中傷するうわさが広まること」を理由に、その閉鎖を命じました。 ところが10日後の1676年1月8日付の追加布告で、営業は条件つきで6月24日まで認められています。

この記事では、1675年の布告、1676年の追加布告、それ以前の1660年と1663年の物品税法を、翻刻と条文で読み、何が書かれていて何が書かれていないかを分けて整理します。ロンドン最初のコーヒーハウスのビラとされる文書の文面にも触れますが、その年代は確定できていません。

布告が出る前:コーヒーは税と免許の対象だった

閉鎖の布告より前に、コーヒーはすでに法律に名前の出る飲み物でした。

  • 1660年の物品税法(Excise (No. 3) Act 1660)は、税率の表に「コーヒーを作って売る1ガロンごとに、作り手が4ペンス」「チョコレート・シャーベット・茶を作って売る1ガロンごとに、作り手が8ペンス」と定めています。豆ではなく、できあがった飲み物の量に税をかけているのが特徴です。
  • 1663年の物品税法(Excise Act 1663)の第14節は、1663年9月1日以降、コーヒー・チョコレート・シャーベット・茶を、治安判事の四季裁判所(General Sessions of the Peace)の命令による免許なしに売ってはならないと定めました。免許の前に税を払う保証を立てること、免許と保証の手数料は12ペンスまで、免許なしに売れば1か月ごとに5ポンドを没収、とあります。

1675年の布告は、この1663年の法律(布告の文面では「国王の治世15年目に作られた法律」)を罰則の根拠として引いています。閉鎖の命令は、すでにあった免許の仕組みを使って行われたものでした。

1675年12月29日の布告:何を禁じ、何を理由にしたか

布告「A Proclamation for the Suppression of Coffee-Houses」(国王の印刷人の刷り。刷り手の表示は「John Bill と Christopher Barker の権利の譲受人(Assigns)」、1675年)は、ホワイトホールの宮廷で1675年12月29日(治世27年)付で出されました。翻刻で確かめた内容は次のとおりです。

対象の地域:イングランド王国、ウェールズ、ベリック・アポン・ツイードの町。

理由:近年、コーヒーハウスが数多く開かれ、そこに暇な人や不満を持つ人が大勢集まることが「非常に悪く危険な結果」を生んでいる、として2点を挙げています。

  1. 多くの商人などが店で時間を浪費し、その時間は本来なら正当な仕事に使われるはずだったこと
  2. 店に集まる人々によって、国王の政府を中傷し、国の平和と静けさを乱す「偽りの、悪意ある、恥ずべきうわさ(False, malicious and Scandalous Reports)」が作られ広められていること

禁じたこと:1676年1月10日から、公のコーヒーハウスを営むこと、そして店の中で飲ませるためにコーヒー・チョコレート・シャーベット・茶を小売りすることを禁じました。禁止の文には「店の中で消費されるための」という限定が付いています。ただし、次に書く免許の取り消しにはこの限定がなく、1663年の法律では店の中か外かを問わず販売に免許が要るため、取り消しの範囲は禁止の文より広く書かれています。

命じた手続き:治安判事と都市の首長に、次の四季裁判所で、これらの飲み物を売る免許をすべて取り消し、今後は免許を出さないよう命じました。

罰則:免許を取り消されたあとや免許なしで売った者は、1663年の法律による1か月5ポンドの没収に加え、続ければ法律で科せる最も重い罰を受ける、としています。

10日後の1676年1月8日:追加布告で6月24日まで営業を認める

翌月の追加布告「An Additional Proclamation Concerning Coffee-Houses」は、ホワイトホールで「1675/6」年1月8日(治世27年)付で出されました。文書は年を「1675/6」と二通りに書いています。1月1日を年の始まりとする現在の数え方では1676年に当たるので、この記事では1676年1月8日と書きます(この換算は布告の本文に書かれたものではありません)。最初の布告の禁止が始まる1月10日より前に出されています。

追加布告は、まず小売商の側から請願があったことを記しています。翻刻によると、その中身は次のとおりです。

  • 手元に税をすでに払ったコーヒーと茶が大量にあり、さらに海外でイングランド向けに積み出し済みの分もあって、呼び戻すには持ち主に大きな損失が出る
  • そのため、これらの品を売り切るための猶予をもう少し与えてほしい
  • 店でのこれまでの「不始末と乱用」を認めて悔い、再発を防ぐと約束する
  • 営業を続けさせてもらえるなら、忠誠と国王至上の宣誓(Oaths of Allegiance and Supremacy)をし、四季裁判所で誓約保証(recognizance)を立てる

これを受けて国王は、前の布告の日付の時点で小売りをしていた者に限り、500ポンドの誓約保証を立て、2つの宣誓をすることを条件に、1676年6月24日まで店での小売りを認めました。治安判事には、前の布告だけを理由に免許を取り消さないこと、期限切れの免許は、法律の規則に従い、誓約と宣誓を果たした者に、6月24日までを限りに出し直すことを命じています。

誓約の条件:店の中の「文書」と「うわさ」を見張る

追加布告の末尾には、誓約保証の条件の書式が付いています。条件は次のとおりです。

  • 政府や大臣についての中傷的な文書・本・誹謗文書(Scandalous Papers, Books or Libels)が店に持ち込まれ、読まれ、広められるのを防ぐよう努める
  • 店の中で政府や大臣についての偽りのうわさが語られるのを防ぐよう努める
  • それでも店で文書が公然と読まれたり、うわさが公然と語られたりしたら、2日以内に国務大臣か治安判事に知らせる

閉鎖の理由のうち、少なくとも「うわさ」のほうは、店主に通報の役目を負わせることで対処しようとしたことが条文から読み取れます。

6月24日のあとはどうなったか(未確認)

追加布告が認めた営業は「6月24日まで、それ以上は認めない」と書かれています。その日以降に閉鎖が実際に行われたのか、さらに延長されたのかは、この記事のために開けた一次資料では確認できませんでした。閉鎖はその後行われなかったとする紹介文は見つかりましたが、一次資料にあたれていないため、ここでは結論を書きません。

ロンドン最初のコーヒーハウスのものとされるビラ:文面と年代の問題

ロンドンでコーヒーを売り出した広告としてよく紹介されるのが、ビラ「The Virtue of the COFFEE Drink」です。Text Creation Partnership の翻刻(EarlyPrint 経由)で読める文面は、副題に「イングランドで最初に公に作られ売られた。パスカ・ロゼによる」とあり、末尾に「コーンヒルのセント・マイケルズ・アレーで、パスカ・ロゼが自分の頭の看板のもとで作り売る」とあります。

文面には次のことが書かれています。

  • コーヒーの実は小さな木に育ち、アラビアの砂漠にだけ生える(当時の記述。産地の現状はイエメン モカ・マタリのコーヒーやエチオピア カッファを参照)
  • 窯で乾かし、粉に挽き、湧き水で煮出す。半パイントほどを、飲む1時間前から食べず、飲んだあと1時間は食べないで、耐えられるかぎり熱くして飲む
  • 消化を助ける、頭痛に効く、水腫・痛風・壊血病を防ぎ治す、眠気を防ぐ(夕食後に飲むと3〜4時間眠れなくなる)など、多くの効能をうたう

これは17世紀の売り手による宣伝の文句で、効能の根拠は示されていません。現在の研究や公的機関がコーヒーとカフェインをどう評価しているかは、カフェインとコーヒーの健康な付き合い方とコーヒーに発がん性はあるのかで整理しています。翻刻には判読できない箇所の印があり、文面の一部が読めません。

年代は確定できません。 このビラを「1652年ごろ」とする紹介がある一方、翻刻を収めた書誌の記録では1670〜1680年とされているという情報もあり、その記録そのものは開けませんでした。この記事では、ビラの印刷年と、ロゼの店が開いた年をどちらも未確認として扱います。

確認できたこと・確認できなかったこと

項目 状態 資料
1660年の物品税:コーヒー1ガロンにつき4ペンス、チョコレート・シャーベット・茶は8ペンス(作り手が払う) 確認済み Excise (No. 3) Act 1660
1663年9月1日以降、4つの飲み物の販売に免許が必要、手数料12ペンスまで、無免許は1か月5ポンド 確認済み Excise Act 1663 第14節
1675年12月29日付の布告:1676年1月10日から店で飲ませる小売りを禁止、理由2点、免許の取り消し 確認済み 1675年の布告(翻刻)
1676年1月8日付の追加布告:請願の内容、500ポンドの誓約保証と宣誓、6月24日まで営業可 確認済み 1676年の追加布告(翻刻)
誓約の条件:中傷的な文書・うわさを防ぎ、2日以内に通報 確認済み 1676年の追加布告(翻刻)
6月24日以降に閉鎖が行われたか 未確認 —
ビラ「The Virtue of the COFFEE Drink」の文面 翻刻で確認(判読できない箇所あり) TCP の翻刻(EarlyPrint)
ビラの印刷年(1652年ごろか1670〜1680年か)とロゼの店の開業年 未確認 —
サミュエル・ピープスの日記のコーヒーハウスの記述 未確認(この記事では使わない) —

まとめ

17世紀後半のイングランドの法律は、コーヒーをチョコレート・シャーベット・茶とともに課税と免許の対象とし、1660年には作って売る1ガロンごとの税を、1663年には販売の免許をかけていました。1675年12月29日付の布告は、その免許を取り消すことでコーヒーハウスを閉じようとし、理由に「仕事を怠ること」と「政府を中傷するうわさ」を挙げました。しかし10日後の追加布告は、税を払った在庫を抱える小売商の請願を受け、誓約と宣誓を条件に6月24日までの営業を認め、店主に中傷的な文書とうわさを通報させる仕組みを加えています。その後どうなったか、そしてロンドン最初のビラがいつ刷られたかは、一次資料でまだ確かめられていません。


目的別に次に読む

参考文献・情報ソース

よくある質問

布告や法律では、コーヒーハウスのどんな飲み物が対象になっていたのですか
1663年の物品税法は、コーヒー・チョコレート・シャーベット・茶の4つの販売に免許を求め、1675年の布告と1676年の追加布告(前文)は、この4つを店の中で飲ませるための小売りを禁止や許可の対象にしています。1660年の物品税法は、作って売る1ガロンごとに、コーヒーに4ペンス、チョコレート・シャーベット・茶に8ペンスと、異なる税率をかけています。いずれも国全体の規則で、ロンドンの個々の店が実際に何を売っていたかの記録ではありません
コーヒーハウスは本当に閉鎖されたのですか
布告の上では、1676年1月10日から営業が禁じられるはずでした。しかし最初の布告から10日後、1月10日より前の1月8日付の追加布告で、もともと営業していた小売商は、条件つきで6月24日まで営業を続けてよいとされました。6月24日のあとに実際に閉鎖が行われたかどうかは、この記事では一次資料で確認できていません(未確認)
国王はなぜコーヒーハウスを閉鎖しようとしたのですか
1675年12月29日付の布告は理由を2つ挙げています。商人などがコーヒーハウスで多くの時間を浪費し、本来の仕事を怠ること。そして、店に集まる人々によって、政府を中傷し国の平和を乱す偽りのうわさが作られ広められることです
ロンドン最初のコーヒーハウスのビラは1652年のものですか
パスカ・ロゼの名で「イングランドで最初に公に作られ売られた」とうたうビラの翻刻は残っていますが、翻刻そのものに年の記載はありません。1652年ごろとする紹介も、1670〜1680年とする書誌の情報もありますが、この記事では書誌の記録を開けておらず、印刷年は確定できていません(未確認)

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